「現代はストレス社会だ」。
今どき、この言葉を新鮮に感じる人はいないでしょう。
むしろ当たり前過ぎて、「だから何なの?」と返してくるかもしれません。
ストレス社会だと言い切ったところで、経済的にも技術の上でも大きく進化し発展を遂げ、頗る便利で暮らしやすい生活の上で生きている気がします。
一方、絶え間ない競争が日々を席巻し、あらゆるものが管理される生活が伴うのも事実です。
抱えきれないほどのストレスを感じている人は多く「ストレス社会」をなんとかしなければ、と思いながらも「仕方ねーよな」とも感じています。
自分は何処に居るのだろう
「疲れてません?」「顔色悪いですよ」「元気出しましょうよ」なんて言われると、いよいよ気分は下降線です。
ストレスが表面に現れてきた証拠です。自分以外の人にストレスを指摘されるのはかなりの重症かもしれません。
ストレスをそのままにしてくと心の病を引き起こしたり、重大な病気を見逃すこともあるので、なんとか食い止めたいものです。
しかし、社会人としての常識や生活上の厳しいルールも無視できません。何より生きていかなくてはなりません。
やるべきことはしっかりやらないと、と思うのも当たり前の考えです。
ストレスが昂じると、いつか過重労働などから健康障害が起こります。
日々の仕事上の難題が衰弱状態を引き起こし、意欲喪失、情緒荒廃、抵抗力の低下、とくに対人関係に親密さを欠いて孤独感が深まります。慢性的な悲観、職務上の能力低下、といった症状は他の人の目を引きます。
「燃え尽き症候群」「無気力症」「自律神経失調症」などが代表的な病名です。
五月病とも呼ばれる「無気力症」は新人のストレス障害の典型です。
過度のストレスが自律神経を乱し、覆うような倦怠感、頭痛、肩こり、多感、しびれ、動悸、めまい、ときに不整脈や不眠といった症状や、精神的な不安、緊張や躁うつといった「自律神経失調症」などもよく耳にします。
「さぁ、どうしよう」と思ったときは、既にストレスの極限で、自分が過大なストレスの中にいることさえ気がつかないかもしれません。
ストレスを放置してはいけない
ストレスはそもそも物理学の分野で使用されてきた用語です。
原因となるストレッサーと呼ばれる外部刺激によって、自分の心や身体に及ぼす負荷から歪みを生じさせた状態や、「嫌だなぁ」と思うことに我慢することで起こる抑圧を言います。
「処理されない感情」が心の中に蓄積していく状態。
専門的には以下のように段階的に進行していきます。
1 警戒反応期…ストレッサーの刺激に反応し緊張状態の時期。
2 抵抗期…ストレスに耐えながらも戦闘態勢。良い意味で全身の機能が充実している。
3 疲はい期…ストレッサ―の刺激が強すぎ長期間耐えられずに消耗、抵抗力も弱まり、身体全体が衰えじんわりと不調が現れ始める時期。
こうなると、ストレスも極限状態に近くなります。
良いストレスというのもある
悪い事の代名詞のように言われるストレスですが、悪いことばかりではありません。
ストレスがある程度保たれることで、本来持っている適応性が失われずに済むことが知られています。
やる気や向上心、時には負けん気が自分を育て鍛えてくるれることも十分納得がいく話です。
強い相手を前にするとメラメラと萌えてくる、というアスリートはこういう状態ですね。
ストレスを無くす方法
ストレスを無くす方法、といっても言うは易しで、簡単ではありません。一般的な対処法を俯瞰して見てみましょう。
ひとりで抱え込まない、完璧主義をやめる、柔軟な思考をする、前向きになるとか、心から笑う、好きなものを好きなだけ食べる、散歩して気分転換する、森林浴をするなどの行動も良いとされます。
しかしこういう対症療法もあるでしょうが、一歩踏み込んで、根本的に生きていく形を見直すというのはどうでしょうか。
思い切って生き様を変える
超多忙な小説家、夏樹静子さんは長い間、猛烈な腰痛に悩まされていました。歩くことは愚か、座ることも横になるのも辛く、一時は死を考えたほどの腰痛に苛まれていました。
あらゆる治療を試みますが一向に治る気配がありません。
そして、ある医者から「作家夏樹静子を忘れなさい」と言われます。
小説を書かずに作家の仕事を離れると、それはすーっと霧が晴れるようにたちまちにして腰痛が消えたと言うんですね。
「腰痛放浪記 椅子がこわい」という本にもなりました。ストレスが日常生活と深く関わる様子が具にわかる良書です。
ストレスは今に限ったことではありません
では先達はどんなことを考え、どんな方法でストレスを回避していたのでしょう。
「あー、風まかせ、風まかせ」
まるで粋でいなせな歌舞伎役者が言いそうな台詞です。
こんな人生を送れたら、ストレスはないかもしれません。しかし映画でも脳天気なデレビドラマでもありません、実社会ではこんな言葉は通用しませんね。
まとめ
老荘思想にこんな言葉があります。
「直木は先ず伐られ、甘井は先ず竭く」
(ちょくぼくはまずきられ、かんせいはまずつく)
材木にするには真っ直ぐな木から切り倒されます。
井戸も美味い水から飲み干されてしまう、というくらいの意味でしょう。
抜きん出て頭角を表したりすると、足を引っ張られて潰されてしまうという訳です。
先頭を歩く人はストレスが充満しているということでしょうか。
貧弱な枝でいい、美味しい水じゃなくてもいい。現代の競争社会では物足りないけれど、自分のペースで生きるというのは捨てがたい魅力があります。
こういう生き方でストレスに打ち勝つならば、それはそれで充分ではありませんか。
だからこそ、自分に合った自分の生き方を見つけることが、ストレス社会を生き抜くための大きな知恵となります。
「人は人吾はわれ也とにかくに吾行く道を吾は行くなり」
これは日本を代表する哲学者、西田幾多郎の言葉です。
こういう考え方も生き様として重要で、ストレスをうまくかわしていく処方術でもあり大きなヒントになるかもしれません。