恋愛もマインドコントロールの一種??実はただの勘違いだった、、、

恋愛もマインドコントロールの一種??実はただの勘違いだった、、、

「恋は盲目」といわれます。おおかたの辞書には「恋におちると、理性や常識を失ってしまうということ」と書かれています。

 

「恋は盲目」を実際に見てみると、周囲の声を聞かない、悪いやつと付き合う、相手のことしか考えられない、何をおいても恋愛を最優先する、冷静でいられない、惚れっぽい、自信がない、などが思い浮かびます。

 

「だから恋なのよ」と、是とみるか否とみるかは考え方でしょうが、恋愛の素晴らしさも恋愛の危うさもここにあるように思われます。

 

突進する心

自分から好きになって、恋をしているという実感と幸福感は、マラソンランナーが限界に向かって走りながら、その苦しみの中に一種の脳内麻薬とでも呼べそうなエンドルフィンやドーパミンを分泌するとされる「ランナーズハイ」の様相にも似ています。

 

苦しいけどやめられない。

辛い中に一種の恍惚感が生まれてくる、そんな世界に似ています。

 

恋愛というものは、自分の意志で好きになり、自分の心の中から生み出すゆるぎのない確たる感情だからこそ、素晴らしく愛おしいものである筈です。

 

しかし、この感覚が、実は自分の意志と全く関係なく、いつの間にか、気がついたら好きになっていたらどうでしょう。

 

相手の言動に一喜一憂し、その人のことで頭が一杯になり、疑心暗鬼、嫉妬の嵐に見舞われ、好きな相手に言われることは何だってしてしまう、というふうになったらどうでしょう。

 

しかも、相手が意図的に仕向けているとしたら。

 

私を認めよ!

こうなると、もう客観視出来ません。人の意見に耳を貸さず、妙な自信が芽生え、恋愛以外のつながりを徐々に放棄し自分のやっていることに疑いを持つことはありません。

 

相手の人だけが正しいのです。

これを「洗脳」とか「マインドコントロール」と周りの人たちは呼ぶかもしれません。

 

精神的にも肉体的にも深くコントロールされたひとりの人間がもとの精神状態に戻るのは容易ではありません。

ところで、多くの人間は、自分を認めてほしい、という「承認欲求」を持っています。

 

しかし、現実はそうはいきません。

上司が明らかに間違いだと思うのに認めない。好きな人はこっちを向いてくれない。誰よりもしっかり仕事をやっているのに、昇進もなければ給料も上がらない。

 

「自分を認めよ!」と強く思っている時、しかも自分に迷いがあるときに、恋愛というオブラートに身を包んだマインドコントロールがゆっくり始まれば、なかなかそれを見抜くことは難しいかもしれません。

 

強制的で暴力的な「洗脳」に比べ、マインドコントロールは遥かに巧妙で知能的といえます。

 

「これがホントの恋愛」と思っていたものが、嘘と美辞麗句に包まれた計画的なマインドコントロールの所業だとは気づきようがありません。

 

悪い人たちにご用心

マインドコントロールはもともと「潜在能力を引き出すためのトレーニング法」というもっぱら自己啓発的なポジティブシンキングに使われていました。

 

学校教育やアスリートたちのトレーニングに使われ、自らの心を平静に保つ、集中力を高めるなど、心の有り様を制御、調整することを目的にしてきたようです。

 

いわば、良いマインドコントロールと悪いマインドコントロールがあるといえます。

 

現在ではカルト集団と呼ばれる人たちの詐欺まがいの商法や人を騙す性格を持つ方をマインドコントロールと称し、本人に役立つ心理学の応用をセルフコントロールと呼ぶようです。

 

大谷翔平のマンダラチャート

世界中の野球ファンが熱狂する大リーガー大谷翔平は、高校時代に「マンダラチャート」という目標達成シートを作成して、自らをセルフコントロールしていたことは大変有名な話です。

 

そのマンダラチャートですが、9x9の81の四角いマス目を作り、「夢」と言えるような自分の強い目標を中心に書き、周囲に細分化した目標を書き込んだものです。

 

自分の今と自分の目標が目視できます。

 

大谷翔平のマンダラチャートをよく見ると、「体つくり」「キレ」「スピード」「160キロ」「変化球」など、アスリートとしての目標の他に「人間性」「メンタル」「運」などが羅列されます。

 

心と肉体が密接にお互いを補完していることを感じさせます。

 

長谷部誠の「心を整える」

またサッカー元日本代表キャプテンだった長谷部誠は、その著書「心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣」でこんなことを言っています。

 

「心は鍛えるものではなく、整えるものだ。いかなる時も安定した心を備えることが、
常に力と結果を出せる秘訣だ。自分自身に打ち勝てない人間が、ピッチで勝てるわけがない」

心の迷いや不信で悩む人にとって、格好の本だったようで30万部以上も売り上げます。

 

ここには悪しきマインドコントロールがつけ込む余地はありません。これは大きなヒントです。

 

「好きでたまらない人が別の人と仲良くしている光景が目に入ってきた」。あるいは「最近、相手がすごく乱暴になった」。

きっかけはこんなところから始まるかもしれません。

 

「思っていた人と少し違う」。そうも思い始めます。

恋愛とマインドコントロールの違いはこういうものかもしれません。

 

強制と自発

最初に「恋は盲目」と書きました。

しかしマインドコントロールで作り上げた偽の恋愛と、自分の意志で育んだ本物の恋愛を分け隔つものはなんでしょうか。

「恋は盲目」といっただけではその答えにはなりません。

 

新約聖書の中に、使徒パウロが書いた「コリント人への手紙」の中に次の言葉が記されています。

「心に愛がなければ、どんなに美しい言葉も 相手の胸に響かぬ」

あまりに有名な言葉かもしれません。当たり前すぎて陳腐だ、と言われるかもしれませんね。

 

しかし、2000年もの長きに渡って受け継がれ語り継がれた言葉には真実がどっしりと根を下ろしているのも事実です。

 

まとめ

恋愛をするとは、今の自分を姿見で見ることに似ています。自分の心、自分の想い、自分の意志がそのまま鏡のように写り込んでいるからです。

 

嘘で固めたマインドコントロールの恋愛もどきとは本質的に違います。心はもっと自由な筈です。

心の中は治外法権だ、ということでしょう。

 

囚われない、拘らない、偏らない心を醸成することこそマインドコントロールなどと分かつ道です。

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